涙の日に

 

ここ数日、風邪で苦しんでいました。部屋で過ごす時間も多く、しかし思うままに身動きもできませんので、日頃は聴けない音楽など、ひとり朝晩と聴いていました。

 

一時は、一晩を通じて激しい嘔吐などにも苦しみましたが、それも少しは快癒し、身体も動くようになってきたので、部屋を片付けたりしました。すっきりとした部屋の中で、久し振りにレコード盤を取り出し、静かに針を落としてみました。

 

聴いたのは「アイーダ」でした。カラヤンとウィーン・フィル。1979年5月の録音。フレーニ、カレーラス、バルツァ、カップッチッリ、ライモンディ、リッチャレッリと、当時のトップたちが勢揃いした、めまいがするほど豪華な録音。

 

アムネリスの有名な「ああ死んでしまいそう」の箇所を、とりわけ聴いていましたが、聴いていて不意に涙が出てきます。もう一度聴いても、同じく涙が出てきます。

 

どうしてだろう。

 

先ほど、これはレコードも持っていますが、今回はCDの方で、「ルチア」を聴きました。1955年9月、カラヤン指揮、ベルリンRIAS交響楽団の、ベルリン市立歌劇場での有名な音源です。何よりカラス、ステファノ、パネライと、当時のミラノ・スカラ座の面々をベルリンに引き連れての凱旋公演でした。

 

今回、私が聴いたのは、有名な「狂乱の場」や「六重唱」(四重唱)ではなく、第2幕のフィナーレ、クライマックスの部分。

 

とはいえ、おそらくどの個所を聴いても涙したと思います。それくらい、今の私は壊れている。おそらくどこかのスイッチが、ひとつおかしくなったと思われます。

 

心のどこかで、感情をつかさどる部分に、何かしらの刺激が与えられると、機械のように自動で涙が出る。これを壊れたと言わずして何と言うのか。

 

この精神的支柱が壊れかけていることを、どう受け止めればいいのか。震災以降、さまざまな場面に触れ接した挙げ句の果てに、こうして壊れた自分。

 

泣き乍ら思うことは、「このままでは死ぬだろう」ということ。この程度で男が涙するのは、余程の疾患だろうと思う。この先、これからの人生を歩むことについて、「もしかしたら挫折するな」と考えたりもする。

 

どうせ死ぬなら、早いうちにやることだけやり、あっさりとそうなればいいと思うから、だから早く、やるだけのことをやってしまおう。今日という涙の日に、ひとり考えていました。

 

2012 / 02 / 16 / The / AM 04 : 54